声なき家族(ペット)の、穏やかな最期のために。
【私の原点】祖父と愛犬の死が教えてくれた、「後悔しない最期」と健康の本質
---------------------
---------------------
私が『健康』に対して深く興味を持ったのは、まだ子供の頃でした。
きっかけは、祖父の死と、ペットの死です。
1. 祖父の死:大人の「エゴ」に対する初めての怒り
まだ4、5歳の頃。祖父が病床に伏していましたが、その最期の瞬間を私だけがじっと見つめていました。
祖父の何気ない呼吸の変化が私の意識を惹きつけ、見つめていると、やがてモニターの電子音が鳴り響きました。 直後に始まった蘇生処置。
何もできない自分が悲しかったし、すでに人生を全うし、亡くなっている祖父の遺体に対して行われる蘇生処置は、当時の私にとって到底許せないものでした。
「もう十分苦しんだのだし、人生を全うしてきた」 「なのに、なぜこれ以上苦しみを味わせようとするのか?」
医者や大人たちが、無理やり生き返らせようとする行為は「エゴ」にしか感じられず、怒り以上の何かが私の中に生まれました。
- 「当人の意思を、理解していた人がどれくらいいたのか?」
- 「それを家族は尊重したのか?」
悔しかった。ただただ悔しかった。 病床に伏した祖父は、私にこう言っていました。「人はいつか死ぬ。その時には受け入れるしかないんだよ。生きているから善い事というわけでもない」と。
大きな葛藤のなかで、そう言った祖父を心から尊敬しています。
しかし、子供だからと話を聞いてもらえず、事実を事実として受け入れたくない人間が、勝手なエゴで大好きな人を苦しめている。そう感じたその瞬間が、私の最初の転機でした。
「病」や「死」に関わる強さを手に入れたい。 無知で無力だから何もできないのなら、対等に言葉を交わせるだけの知識と説得力を身につけたい——そう思ったのです。
その後「医者になりたい」という夢を持ちましたが、当時の家族には「お前が医者になれるなら、誰もが大統領になれる」「患者が死ぬ」と嘲笑されました。今なら「お前に関係ない」と突っぱねられますが、5、6歳の子が言われたらそりゃあ心折れますよね(笑)
2. 愛犬(いっぬ)との別れ:人生で唯一の後悔
時日は流れ、心理学は学びつつも、医学とは全く違う方向へ人生を歩んでいました。
高校生の時、両親が離婚し、私は父方についていきました。
理由は2つ。
ひとつは持病のある父を一人にできないこと。そしてもうひとつの大きな理由は、「飼っていたいっぬ(犬)が父方に残るから」。私にとって、最初で最後のペットであり、最後にして最大の「家族」だったんです。
老犬となった愛犬と、父のダブル介護生活は、過酷そのものでした。
何が大変って、「私にも自分の人生(生活)がある」ということです。 県外の大学への往復4時間の通学、体力勝負の学校生活、夜7時過ぎまで課題をこなす。家に帰れば、家事ができない父の代わりに掃除、洗濯、ご飯の支度、そしていっぬの介護が待っていました。
日中は私に代わって動物病院がいっぬのケアを引き受けてくれ、私が帰る頃に父が迎えに行く日々。疲れ果てた私を見かねて、学校の先生が「車で寝てろ」と家まで送り届けてくれたことも多々ありました。
犬は認知症が進み、ご飯を食べてもクンクンと鳴きながら同じところをぐるぐる回り、脱腸によってうんこも自力では出せなくなっていました。
その状態になってからは、毎晩一緒の布団で寝て、夜中に起きる犬を撫で、おむつを替え、うんこを出してあげる。そんな日々が半年以上続きました。
そして最期の時は、私の布団の中、私の腕の中でした。
今でも残る後悔
振り返ってみて思うのは、祖父にもいっぬにも、もっと穏やかな最期を迎えるために、できる事・やらなくていい事が沢山あったなぁと思います。
もし、いまいっぬが目の前に居たら?もっと考え、もっと仮説を立て、一つずつ非浸食性のサポートをしてあげられたかなと思います。
- 「ぐるぐる回る」のは、てんかんのような脳内のけいれん。
- 「認知症様症状」は、アミロイドβの蓄積。
- 「脱腸」は、筋肉の衰えや臓器のズレ。
- 「足を引きずる」のは、見逃しがちな脱臼や背骨の湾曲による神経圧迫。
あくまで仮説だけれど、それさえ立てられれば、薬や点滴に頼らず、もっと自然な形で楽にしてあげられたはずなんじゃないか?との想いが残っています。
私は人生の中で、自分の選択や起きたことに後悔したことはありません。
でも、いっぬに関しては別です。人生で唯一、後悔しています。
「もっと、してあげられることがあったはずだ」 「知識と情報がなさ過ぎて、現代医療の『苦しい延命処置』に近づけてしまったのではないか」そんな葛藤が残っています。
誰もが「よくやった」と言ってくれました。遊びにも行かず、毎日必ず家に帰って一緒に寝たり。確かに当時の自分にできる全力を尽くしたとは思います。 それでも、最期の半年間、純粋に喜んでいる犬の顔を見れなかったことが、今でも心に深く引っかかっています。
いっぬが死んだとき、最初に思ったのは
「お疲れ様。天国でいっぱい走れよ」
という言葉でした。
この気持ちは30年経った今でも変わりません。文字を打っているだけで涙が出るほど、人間以上に大切な家族でした。
だからこそ、私は今、人間だけでなく、すべての生き物に対する「健康」をベースに学び続けています。
3. 「穏やかな最期」に本当に必要なもの
効果の高い薬、サプリ、最新の治療法を知ることは重要です。医学は日々進歩していて、日々新しい発見があり、今までの「当たり前」がひっくり返り続けています。
個人個人によって、個体によって、求めるもの・目指す状態が異なります。
『最善』と尽くすために、今も学び続けています。
そんな学びの中でも、最期の時まで穏やかに過ごすために一番必要なのは、「本人」と「家族」のコミュニケーションだと私は感じています。どんな薬よりも、互いの価値観への理解が、旅立つ側も見送る側も「後悔しない穏やかな最期」に繋がっていきます。
動物は言葉を喋れないからこそ、感情移入するほどに後悔が残りやすい。 それでも、日頃から「当人(その子)を理解しようとする姿勢」があれば、最期を乗り越えることはできます。私も後悔はありますが、その痛みを経験したからこそ、いまを生きる人や動物にできる事が増えた。という発想の転換に辿り着きました。
私は、「最期を穏やかに過ごすこと」を前提として、病や治療を考えています。それが、この『健康と思考の在り方』という形に行き着いた理由です。
4. 治すのは薬じゃない。
学びの過程で、ひとつ確信したことがあります。
それは、「理解しようとするその想いは、他者を癒す可能性がある」ということです。
人間をはじめ、すべての生き物は、ポジティブな思考が物理的なエネルギーになります。 人間で言えば、ポジティブな思考がセロトニン、オキシトシン、β-エンドルフィンを分泌させ、鎮痛や免疫力アップ、自律神経の過剰な興奮を鎮めていく。
「免疫よ上がれ!」とどんなに力んでもNK細胞は活性化しません。 しかし、「故意的にポジティブへ向かう思考のトレーニング」を行うことで、分泌される物質は確実に変化します。
ロジック人間の私は、証明できないものは安易に信じません。しかし、「思考を変えることが物理的な変化になること」は科学で証明されています。
病気を治すのは薬ではありません。
その人(その動物)自身の細胞修復・再生能力だけです。
そして、その治癒能力を自分でコントロールする方法は、以下の3つに集約されます。
- 思考
- 食
- 呼吸
西洋医学で30年治らなかった発達特性による精神と自律神経の崩壊や、難病指定されて治療法がありませんと言われた痛み地獄も、原因不明と言われた全身性の多発軟部腫瘍も、すべては土台が崩れていたから起きた事。人間の土台は「食事や呼吸、思考の整え方」が大きいのだと実感しています。
結び:声なき家族のために
(※正直言って、人生の伴侶である旦那さんへの想いよりも、いっぬやねっこを想う気持ちのほうが「真実の想い」なんじゃないかと我ながら思ったりもします(笑)少なくとも私は、家族や兄弟以上にいっぬが家族でした。)
治らない、原因がわからないと悩んでいるなら?
副作用という概念のない食事の改善や、誰かが起こした奇跡という「偶然の再現性」に賭けてみるのも一つの手です。
穏やかな最期を過ごすために、無理なリスクを負う必要はありません。 あなたが共に暮らす家族なら、言葉はなくともその声が聞こえるはずです。自分と、声なき家族の声を聴くこと。
家族も本人も、「知らないから出来なかった」という後悔を抱え続けないために、私はこれからも情報を発信し続けます。
後悔しないために、今日をどう生きるか。
それは自分の為でもあり、大切な人(ぺっと)の為でもある。
Wishing you and your loved ones so many happy and peaceful moments!
See you~♪

No responses yet