私の哲学
(My Philosophy)
私はマレーシアに暮らす、ちょっと頭のネジが吹っ飛んだ変人です。
私には私だけの哲学がいろいろある。
その中でも、芯となっているのは、
「できない理由」を並べて諦めるのではなく、自分の選択に責任を持って生きていく。
という事。これが私の本質であり、私の「ヤギ旅」という生き方です。
思春期の頃は泥沼のようにネガティブで、他責思考で、動かない理由ばかりを探していました。
今でも完全に抜け出したわけではない。
でも。
私は変わらなきゃいけなかったんだよね。生き伸びる可能性に賭けるためには、変わらなきゃいけなかった。
むしろ、そんな危機的状況になるまで、本当の意味で『思考を変える』ということにフォーカスしてなかった。
数々の葛藤と暗闇をくぐり抜け、読書と対話を重ねて自分の中に落とし込んだ「生きるための十か条」があります。
1. 私を形づくる「十か条」の哲学
- お金や肩書だけがあっても、腹は満たされない。
- 他人を恨むな、羨むな。自分を磨け、楽しめ。
- 人のせいじゃない。自分の選択だ。
- 見えないものを見た気になるな。見えたものが全て事実だと思うな。
- 真実を追求するより、自分における正しさを常にアップデートせよ。
- 目の前のもの・人に感謝する。
- 小さな幸せを探せ。それを伝えろ。幸せはおすそ分けできるし、いつか返ってくる。
- 真の強さは、強き者へ向け、弱い者のために使う。
- できない事など何もない。できない理由は言い訳でしかない。
- 人としてのルールとマナーを守り、相手(全ての生命)をリスペクトして、ひたすらに努力する。
「永遠の中二病」かもしれません(笑)
でも私は、この哲学を机上の空論にしないために、10代の頃から狂ったように本を読み漁り、勉強会へ足を運び、夜な夜なPCチャットでその道のプロや研究者と生命・心理・生物の進化について毎晩語り明かしてきました。
私の行動エネルギーの源は、シンプル。
「死にもしないことに躍起になってる大人が謎すぎた」から。
そして、
『言葉を持った人間なら、もっと楽に、命に対して一生懸命に生きられるはずじゃないのか?』
『勝手なマイルールで、みんなが苦しむ必要はないんじゃないか?』
その矛盾を知りたかったのです。
2. お金への違和感と、「最高の友達」だった自然
私は、昔から「お金」という存在が嫌いです。
お金に困らない家で育ち、贅沢もさせてもらいました。だからこそ、お金によって生まれた「人間の心の貧しさ」や「上辺だけの人間関係」が骨身に沁みて見えてしまった。幼少期には、お金や権力が原因で人生で一番大切な人を目の前で失い、その死を前に繰り広げられる大人たちの醜い争いを目撃したトラウマもあります。
だから、「人を大切にする」と言いながらお金のために人を切り捨てる人がどうしても許せないのです。
箱入り娘だった私にとって、一番の親友であり、唯一「本気」で向き合ってくれたのが「自然」でした。
- 木に登って果実を食べ、カラスと熟れ時を争う
- 猫と塀歩きの優先順位を競う
- 雨上がりの赤土で縄文土器を作り、ドングリをすり潰して焼いてみる
- 屋上に寝転がり、二度と同じ形にならない風や空気に挨拶する
自然や動物たちは、私に一切の嘘をつかず、ありのままの姿で向かい合ってくれました。犬に耳を噛みちぎられそうになった時、「犬は悪くない!私がちょっかいを出したからだ!」と泣き叫んだ私を大人は笑いましたが、感情や本音を言葉以上に分かち合える生き物たちの世界こそが、私の原点です。
3. グレまくった青春と、見えなかった「幸せ」
十代後半からは、社会不適合なネガティブと破壊衝動が加速しました。
夜な夜な2階の窓から抜け出し、泥棒さながらに排水パイプを伝って遊びに繰り出す「お嬢ヤンキー」な日々。「恵まれてるよね」と言われるたびに、「外から見るお嬢と、中から見るお嬢は全然違うんだよ!」と心の中で叫んでいました。
お金で自由が買えるのか?とキャバクラで働いてみても、そこにいたのは金があってもなくても心を満たせない人々ばかり。
充実すれば幸せなのか?と仕事に明け暮れ、トリプルワークをこなし、ボランティアに精を出しても、他人に振り回されて自分軸が消え、ストレスの歯車が回り続けるだけ。
「人のため」と言いながら自分の利益しか考えていない人々の姿に絶望し、20代の頃は酒と精神薬と暴走で自分の哲学に蓋をし、グレにグレていました。
4. 私の目を覚まさせた「ヤギ」の存在
暗闇の中で「もう何もしたくない」と立ち止まっていた時、私を見透かすように現れたのが「ヤギ」でした。
ヤギの目は、驚くほど冷静で、第三者的な視線で「ふ〜ん」と無言の事実を突きつけてきます。サボったり、自分をごまかしたりすると、すべて見抜かれているような感覚になる。
『彼らは何も言わずに、ただそこにいて、私を見つめながら、服や草を食べ続ける。』
その佇まいは、自分の嘘や甘えを映し出す「鏡」のようでした。人間的な常識では「何も考えていない動物」に見えるかもしれないけれど、彼らの瞳には私を律し、救い出す圧倒的な力がありました。
「私はこの生き物たちと共に暮らし、残りの人生を悔いなく生きたい」
そう決意したとき、私は自分の哲学の蓋を再び開けました。これが、私の「ヤギ旅哲学」の始まりです。
5. 私が生きる道標:正しさのアップデートと恩返し
私はどんな相手であっても、理不尽や権力に対しては真正面から意見を言います。同調圧力や「みんながそう言っているから」という空気には屈しません。だから周りからは「強い」と言われます。
でも、この強さは自分を守るためのものではありません。
- 弱き者を守るため
- 自分の経験を、誰かの苦悩を解き明かす「一筋の光」にするため
- 命をいただき、巡らせてくれた全ての存在に感謝とリスペクトを捧げるため
帝王になりたいわけでも、成功者として君臨したいわけではありません。誰かの人生を少しでも良くする「プロ」として、たとえ不器用であっても、自分自身と目の前の命に誠実でありたいのです。
思考を止めず、行動を起こせば、目の前の景色は必ず変わる。 自分が善いと思った選択を信じ、相手をリスペクトし、人生をHAPPYに生き切る。
これが、私の生き方であり、私だけの哲学です。
行動を止めないためにも、ヤギと生きていく。
日々の小さな感謝を忘れず、阿保みたいに笑顔で生きる。
ウルトラ真面目に、ウルトラ馬鹿に。
私の目標は一つ。
「この世を去る時、自分の人生に後悔を残さず、笑いながら周りの人に感謝する事」
このために、私は今日もマレーシアで阿保みたいに笑いながら過ごしています(⌒∇⌒)
ようこそ。毎日HAPPYぱっぱらぱーの世界線へ。
笑って最期を迎えるために、まだまだやることいっぱい。手を差し伸べられるはずの人が沢山いるはず。
Welcome to my blog‼