「優しさ」とは in マレーシア
私はマレーシアに住む、ちょっと頭のネジが吹っ飛んでる美人なおばさん。
マレーシアに住んで、日本の「優しさ」っていうものが、やっぱりちょっとズレてるんだなと思ったり、思わなかったり。
日本人の、日本文化の、「優しさ」って、どう取り戻せるかな?
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門を揺らす150cmの恐竜と「草刈り隊」
マレーシアには、私が命名した「草刈り隊」という人たちがいる。 公園、商業エリア、道路、家の前など、エリアを変えながら毎日どこかで草を刈りまくっている公的なお仕事の人たちだ。
マレーシアは高温多湿で雨もお日様も豊富。草の成長スピードたるや半端じゃない。 我が家の庭も1ヶ月放置したら背丈を超える木のようになるし、道路の脇も一瞬で雑草パラダイスになる。
雑草が伸びすぎると厄介な生物が住み着いてしまうから、刈らないとやばいのだ。
厄介生物第1位は「デング熱」を媒介する蚊。 第2位は野良犬、第3位は蛇。 そして第4位が……ミズオオトカゲ(笑)。
見た目的には間違いなく第1位の脅威。家の前をフツーに悠々と歩いているし、たまに家の門(ゲート)をよじ登っている。
150cmくらいあるゲートに、胴体だけで150cmくらいあるデカトカゲが二本足でよじ登ろうとしているところを想像してみてほしい。マジで恐竜以外の何物でもない。 イモトが追いかけっこしていたコモドドラゴンとほぼ同じ見た目と速度だ。
あれが道端に住み着かないようにするためにも、「草刈り隊」は超重要なのだ。
月1の「ひとりハロウィン魔女」誕生
公的な草刈り隊以外にも、副業や何でも屋さん、トラック(ローリー)で運搬を生業にしている人たちが「草刈り営業」にやってくる。
我が家の庭を見て「こいつは刈ってもらいたいやろ」と思ってピンポンしてくるわけだ。結構私も頑張って刈ってるんだけど、マレー人は綺麗好きだから美的感覚的にアウトなのかもしれない(笑)。
でも、実は私はいつも断っている。
10m×20mくらいの庭でゴミ搬出込みで100RM(約4,000円)が外国人価格の相場。月に2〜3回頼むと12,000円超え……いくらなんでも高すぎる!
という事で、自力で刈っている。
手鎌を握り締め、虫刺され防止ヒジャブをかぶり、月1の「ひとりハロウィン魔女」状態。暑さで顔を真っ赤にし、汗をぼたぼた垂らしながら刈っていると、地元の人はみんな「あいつはなんだ?」という顔で見ている(笑)。
100RMの使い方と、私なりの「優しさ」のキャパ
正直、100RMは払えない額じゃない。払うことで誰かの生活を少し豊かにして喜んでもらえるかもしれない。
でも、私にとってそれはちょっとキャパオーバーな役回りなのだ。 何より、「払ってもらうのが当たり前」になると、お互いの喜びが減っていく気がして悲しい。
だから私は、100RMを細かく分割して、デリバリーのドライバーさんたちにチップとしてちょっとずつ渡すことにした。 毎回違うドライバーだから、「ちょっと多めのチップでラッキー!」くらいの小さな喜びが、色んな人の日々にちょろっと入ったら嬉しい。
これが、私の出来る範囲での「優しさ」。
「優しさ」って、喜んでもらえてなんぼじゃない? 自分のキャパ以上のことを無理にやると、「優しさの押し売り」になりかねないと思うんだよね。
「無料」になった瞬間
草刈り隊の人たちは、体感40度を超える猛暑の中、長袖・エプロン・長靴を着用し、ガソリンタンクを背負って徒歩で草を刈っている。ラマダン(断食月)中であってもだ。
「仕事なんだからやれ!」と言う人もいるかもしれないけれど、私はただただ彼らをリスペクトしている。 彼らの凄さはタフさだけじゃない。極限状態の脱水と暑さの中でも、いつもニコニコしていることだ。
そんなリスペクトは、言葉が通じなくても相手に伝わる。
私が真っ赤な顔でハロウィン魔女をやっていると、彼らは言葉が通じないと知りながらもグッジョブサインで励ましてくれる。
この間、あと花壇エリアを残して疲れ果てていた時に、たまたま営業に来た彼に「How much?」と聞いてみた。 ちょっと悩んで「40RM(約1,600円)」と言われたのだが、あいにく財布にキャッシュがない。
「ごめん!お金ない!銀行行ってない!」と断ったら、彼がこう言った。
「道の刈りついでだし、そこだけでしょ?タダでいいよ。とりあえず刈ってあげる(笑)」
マジで神がかってるし、これこそが「優しさ」だと思った。
彼にとってはツールを持っている(=出来る範囲の)こと。私は大助かり。 損得じゃない、ただの「優しさ」。
お礼に日本土産のハラルクッキーと冷たい水を渡し、お互いニコニコで「ばいばーい!」と手を振った。
相手への「リスペクト」から始まる優しさ
日本だって、こういう優しさが根底にある国だ。 でも最近は、ルール外のことができなかったり、「優しさ」に対して駆け引きや見極めが必要になったりしている気がする。
やってあげたことを自分の快感にするのではなく、まずは相手をリスペクトすること。 それがなければ「優しさ」は成立しない。
疑うことは「想像(頭の中の考え)」だけど、リスペクトは「事実(目の前の出来事)」だ。事実を見てリスペクトできるなら、特定の部分については信じてもいいんじゃないかな?
一人一人が「ちょっとの優しさ」を持ち寄る。
そのちょっとした行いが、誰かにとっては「人生を変えるほどの嬉しい出来事」になるかもしれない。
私自身、友人に言われたことがある。
「20年前のあの時、あなただけが私を迎えに来てくれた。それが今でも忘れられないし、だから一歩を踏み出せた。今の仕事に就いているのもそのおかげ。今度は私が手伝いたい」
私はただ、自分に余裕があって「喜んでくれるかな?」と思って迎えに行っただけだった。
でもそれが、相手の心に20年も残る大きな力になっていたのだ。
人生一回!自分に正直に、HAPPYにいこうぜぃ
「優しさ」って難しい。でも、ちょっとでいいじゃん。
「ありがとう」と一言発することも、立派な優しい行動だ。あなたの優しさが、目の前の誰かの未来をポジティブに変えるかもしれない。
- 自分の行いは誰かが見ている。
- 自分の行いの結果だけが、正しかったかを教えてくれる。
- 自分の行いだけが、自分の未来を切り開く。
考えるだけでなく、一歩外へ出る(行動する)から、目の前の景色が変わるんだよね。
くっだらないかもしれないけれど、ちっちゃい事を積み重ねていこうよ👍
人生一回!みんな楽しもーよ! 死ぬ時に後悔しないためにも、自分に正直に、HAPPYでいこーぜぃ。
Have a good day!
びぇびぇ〜👋

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